長崎消息
長崎県教職員組合の月刊誌「長崎消息」の連載
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歌に誘われてA
「ユーミンの瞳を閉じて」

 小学生の頃、信州松本に住んでいた我が家にとって、夏休み最大の行事は日本海に海水浴に出かけることでした。定宿としていたのが、富山県との県境近くにある新潟県・市振にある長円寺。
しかし、当時松本から日本海に出るのは大変でした。まず、大糸線で南小谷まで揺られて行き、そこで乗り換え糸魚川まで行きます。さらに北陸本線に乗り換え、荒々しいけれど、蒼く美しい海を眺めながら、青海、親不知、そしてやっと市振駅に到着。朝早く松本を出発しても、宿につく頃には、だいぶ日も傾いていました。
  この長円寺には、松尾芭蕉の「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句碑がある、小さな漁村の小高い丘の上にある普通のお寺でした。どうして、お寺に民宿するようになったかは良く覚えていませんが、最大の理由は家族4人で泊まるのに、安かったからだと思います。私と妹は、お寺のご住職にとても可愛がっていただき、海水浴から帰ってくるといつもサイダーをご馳走してもらっていました。朝からずっと鳴きやまない蝉、極彩色の大きなアゲハチョウ、漁の網が風に揺れる寂れた漁村。瞳を閉じると夏の昼下がり、一定のリズムで打ち寄せる波の音が聞こえてきます。
 
  東京で大学生だった頃、ユーミンの瞳を閉じてを偶然聞いて、まず最初に思いうかべたのが、市振の海でした。「海の蒼さをもう一度伝えるために、今瞳を閉じて」このフレーズを聞いて、思わず目頭が熱くなったのを覚えています。小学生の頃から、もう何十年も市振には行っていません。きっと大きく様変わりしていることでしょう。

 昭和49年、当時奈留高校に在学中だった藤原あつみさんが、「私たちの校歌を作ってください」とユーミンのラジオ番組に投書。それがきっかけで生まれたのがこの「瞳を閉じて」です。結局この歌は、校歌としては採用されず愛唱歌として高校生たちに歌い継がれています。確かにフォーク調の優しく語りかけるようなこの曲は、当時は校歌としてはなじまなかったのでしょう。最近では、高校野球を見ていても、こんな曲もありなのか、と思ってしまう校歌もあるので、今だったらきっと採用されていたかもしれません。  
  その後、当時の同級生たちが、学校の教科書にも載ったこの曲の歌碑を造ってユーミンを呼ぼうということになり、昭和63年8月ユーミンを迎えて、碑の除幕式が行われることになりました。私事ですが、その頃テレビの音楽コーナーを担当していて、奈留島に取材に行った記憶があります。飛行機が遅れたのか船が遅れたのか良く覚えていませんが、除幕式には間に合わなかったユーミンは、奈留高校のブラスバンドに暖かく迎えられ、涙ぐんでいました。
  瞳を閉じてというと、映画の主題歌として大ヒットした平井堅の歌を思いうかべる人が多いかも知れません。しかしユーミンの瞳を閉じては、その最初のフレーズから、いつでも私を夏休みの日本海へ連れて行ってくれます。たくさんの想い出と一緒に。唄には、遠い記憶と旅への誘いが秘められています。

(長崎県音楽連盟 堀内伊吹)
(長崎消息2008年4月号から)